集合写真撮るの忘れた・・

残酷になりがちな現役エホバの証人親の本質と排斥・断絶後の子供の苦労について #6

9月28日、第6回勉強会も無事終了することができました!総勢8名の方がグループ通話に参加して下さり、今回も大いに盛り上がりましたね!

ご参加頂いた皆様、本当にありがとうございました!

現役エホバの証人の親との辛い親子関係

昨日の勉強会で特に印象的だったのが、この点です。

高校3年生のイケメンRenくんも、離島で必要の奉仕をされていたほほ子さんも、集会が大好きなビヨンセさんも「親の小言」に悩まされておられる(あるいは、おられた)とのこと・・。

親が熱心なエホバの証人であればあるほど、組織が大好きであればあるほど、排斥や断絶になった時の「親の小言」はより猛烈に、より残酷になっていくようですね。

今回の復習記事ではこの点について少しばかり書いていきたいと思います。

「親の小言 = 優しい親心 × 醜いエゴ」という図式

もちろん様々なケースがあるでしょうから一概に断定はできませんが、一般的には「親の小言 = 優しい親心 × 醜いエゴ」という図式が成り立ちそうです。

やはり、一生懸命に育てた大切な子供が組織から離脱してしまうというのは現役エホバの証人からすれば「滅び・死」を意味しますから、それをどうしても食い止めたいのは当然の親心ではないかと思います。

排斥や断絶になってしまった子供をどうにかして改心させたい!どうにかして組織に戻したい!サタンから救い出したい!というのが親御様方の自然な本能でしょう。

(単純に組織のせいで思考停止という残念なケースもあるでしょうが・・)

なので、チャンスあれば以下のような小言を連発します。

  • エホバは見てるからね!(だから早く戻って来なさい)
  • ハルマゲドンは近いからね!(だから早く戻って来なさい)
  • ちゃんと祈ってるの?(祈ってないからサタンに騙されている)
  • 出版物送るから読んでね(組織パワーで戻って来てくれないかな)
  • あなたはサタンだ(組織の素晴らしさを理解できないのはサタンの影響だ)

だいたい、上記に挙げたような発言が基本的な小言パターンだと思います。

このように小言パターンを俯瞰して見ますと、やはり現役エホバの証人の親の皆様も必死なのでしょうね。パニック、あるいはヒステリックになるほど必死なのだと思います。

一生懸命育てた我が子(自分の分身のような存在)が悪魔に誘拐されたという世界観ですから、自分の子供が排斥されれば、そりゃ居ても立ってもいられないと思います。

誘拐された子供をどうにかして取り戻したい!どうにかして解放してあげたい!というのは(別にエホバの証人の親に限らず)親として当然の願いでしょう。

(自分の命に代えてまでも救いたいという親御様もいらっしゃるでしょうね)

このような観点から言えば、排斥や断絶によって「子供を失ってしまった」現役エホバの証人の親御さんの辛いお気持ちは本当に大変なものだと思います。

親の醜いエゴが入って物事はより複雑に

親の優しい愛情がただ表明されるだけだったらまだ物事はシンプルですが、親といえども人間、醜いエゴ(つまり会衆内での世間体や親としてのメンツ等)が関わってくると親子関係はより複雑で辛いものとなるようです。

親御さんも自分の子供を取り戻そうと必死でしょうからそりゃ理性も吹っ飛んでヒステリックになると思います。自分の可愛い子犬を取り上げられた犬のようなイメージでしょうか。牙もむき出しです。

理性が吹っ飛んでいますから使う言葉も辛辣になりがちでしょう。「あなたは悪魔だ」などと言うとすれば、それはキリストを杭にかけたパリサイ人ばりの残酷さに匹敵します。

余談になりますが、どうも「親」の中でも一部の方々は自分の子供をコントロールしようとする時に「言葉の暴力」つまり、子供の自尊心を傷つけてコントロールしようとする手段を採用しがちのようです。

  • 「あなたはサタンだ(サタンになりたくなかったら従いなさい)」
  • 「あなたは悪い子だ(悪い子になりたくなかったら従いなさい)」
  • 「産まなきゃよかった(自分を否定されたくなかったら従いなさい)」

本当は物理的なムチや暴力で子供を誘導したいのだけれどもそれはさすがに心理的な抵抗がある、だからせめて「言葉の暴力」で痛めつけて誘導できないものか、という発想でしょう。

裏を返せば「とにかく自分の言うことを聞いて欲しい」「とにかく自分の思い通りに動いて欲しい」、この一点だと思います。

親としての人間的な未熟さ、そして子供をどうにかして救いたいという母性的な狂気、これが「毒親」という複雑な結果を生み出している主な要因なのではと思います。

いずれにせよ、「自分の思い通りにいかない現実を前にもがき苦しんでいる」というのが、排斥や断絶によって自分の子供を失ってしまった親御さんの本質的な姿だと思います。

現役JW親と「放蕩息子」の両方が幸せになることは可能か?

組織の教えが「組織にとどまる=仲間=救い」「組織から離れる=敵=滅び」という図式である以上、組織の排斥や断絶によって分断された親子関係の修復は簡単ではないでしょうね・・。

少しでも良好な親子関係に近づこうとする場合はどうしても「人間として親を超越すること」が子供の側のほうに求められてくると思います。

親は「親」であるがゆえに子供に対して「愛情」を注ぐことが反射的に期待されてしまいますし、子供の側でも反射的に「愛情・承認」を求めてしまうのが自然の摂理です。

しかし、組織の排斥や断絶というルールによって親子関係が分断されてしまった以上は親からの「愛情・承認」はほぼ期待できなくなってしまいます。

もともと愛情表現が苦手な親、もともと言葉遣いが悪い親である場合はさらに本来与えるべき子供への「愛情表現」は希薄になりがちです。

本来の親と子を結びつける最大要因が「親から始まる愛情表現」である以上、その「水路」が組織の排斥や断絶の取り決めによって破壊される場合、そもそも「親子関係の図式」が成り立たなくなってしまいます。

となると、親子関係を維持するのは主に子供の仕事となってしまい、これは例えるなら子供の側の大いなる片思い、子供の側の大いなる一方通行です。

親からの愛情が期待できない絶望的状況にあって、親子関係を少しでも成り立たせようとするなら子供の側の負担があまりにも大きくなってしまう。

こんなのアンフェアですし、何よりも甚だしく不自然であり不公平です。

挙げ句の果てには、子供からの愛情表現や親切でさえも「背教者とは話せないから・・」という理由で親の方から拒絶してきます。

組織の排斥や断絶という取り決めは「親子関係の源泉」、その根本から何もかもを破壊してしまうわけです。

つまり組織は、神聖不可侵であるはずの親子関係、神が優しい愛情の象徴として定めた母子という神聖な領域にまでズケズケと土足で踏み込み、それを破壊します。

「悪魔」という言葉をあえて使うとするならば、それはまさに組織に対して用いられるべき言葉ではないでしょうか。

以上を踏まえた上でも親子関係を復旧したい場合

以上を踏まえると、排斥や断絶によって分断された親子関係を復旧したい場合はどうしても子供の側の多大なる自己犠牲と多大なる労力とが求められることになるでしょう。

(組織の甚だしい悪行のせいで)親からすれば親子関係復旧の唯一の道筋は「子供の復帰」だけでしょうから、子供は自分の自尊心やプライドを押し殺して復帰のプロセスをなぞる必要が出てきます。

別に興味もない長老たちの度重なる牧羊を受け入れ、彼らから見下され尊厳を踏みにじられるかもしれない訪問を幾度も耐える必要があります。

自分を苦しめた組織の「おままごと」に長期間付き合わされるというコストと、復帰後の親との良好な関係というリターンを比べてみて、果たしてその価値があるかどうかを検討せざるを得ません。

さらに親は歳をとり、介護が必要になる瞬間もやってきます。老齢の親を想う子としての自然の良心の葛藤だって始まるかもしれません。

そうなった場合、果たしてどこまで(自分を苦しめた)親と付き合えば良いのか、どこまで尽くせばよいのかの葛藤だって始まるでしょう。

かといって、親を安心させるために「猿芝居」を続けるのにも限度があります。

「おままごと」や「猿芝居」をすれば親は喜んでくれるのかもしれませんが、それを続けるとなると今度はこちら側の精神的ストレスや人としての限度だって深刻になっていきます。

本当に困ったものですね・・

まとめ

そもそもが複雑で非常に難しいこの問題をまとめることなんて無理でしょう・・。それでもこの問題には何らかの打開策、何らかの妙案があるのではないかと思います。

僅かながらのその希望を発見するためにも、今後ともこの事務所での活動を続け、出来るだけたくさんの方々のお話を吸収していく他ないのではと思います。

一人では無理でも「三人集えば文殊の知恵」です。たくさんの方々が力を合わせて知恵を出し合えばきっと、組織がばら撒くタチの悪いあの憎たらしいウイルスに対する「素晴らしいワクチン」だって発見できるのではと思います。

この事務所の活動はまだまだ始まったばかりです(まだ6回目!)。

少しでも多くの方々が組織の悪行から救われるためにも、引き続き暖かくて聡明なメンバーの皆さんと共に和気藹々と勉強会を続けていきたいものです。

その先にはきっと、何がしかの道が開けているのではないかと思います。