エホバの証人について

エホバの証人は結局のところ悪なのか?善なのか?考えてみたよ #17

先日も第17回の勉強会ができました。

「とりあえずブログを更新せねば!」と思い出しましたので、思いつくままに何かを書いていこうと思います。

優しい兄弟姉妹たち

変な長老たちや兄弟姉妹たちも確かにいましたが、それ以上に(あるいはそれと同じくらいに)優しくて誠実な兄弟姉妹たちもいらっしゃいました。

  • 暖かい励ましの言葉をかけてくれる
  • 食事招待や交わりに誘ってくれる
  • 注解や割り当てに関して褒めてくれる

正直なところ、今よりもエホバの証人の現役時代の方が交流していた方々の人数や知り合いは桁違いに大きかったと思います。

巡回区や地域区の兄弟姉妹たちと仲良くしておりましたので、よく巡回区や地域区を越えてお食事をしたり交流したりしていました。

僕の場合は、エホバの証人の組織から離れるということは、これら仲良く交流していた兄弟姉妹たち全てとの交流をキッパリと断つことを意味していました。

ですので、組織から離れることにした直前の頃は、少し寂しかった思い出があります。

変な兄弟姉妹たち

エホバの証人の組織は単に「人々が集まっているコミュニティ」という側面もありますので、当然ながら変な兄弟姉妹たちもいらっしゃいました。

聖書が「誰に対しても親切に接すること」を強調している以上、変な兄弟姉妹たちは結構浮いていたと思います。

  • 他の兄弟姉妹たちの陰口や悪口、不平不満ばかり言う
  • コミュ力や人を思いやる気持ちが乏しい長老や奉仕の僕たち
  • 自分は神に任命されているので自分は特別な存在だという長老や僕たち

別に、エホバの証人の組織に限ったことではありませんが、人の悪口や不平不満ばかり言っている兄弟姉妹たちもいました。

同じ会衆内の若い兄弟の中には、一緒にご飯を食べに行ったりお茶するたびに「長老は個人研究していない」とか「長老は自分の努力を見ていない」と愚痴をこぼしていた方がいましたね・・

あるいは、みんなのボス的な姉妹も交わりを開いては「〇〇兄弟のあの不親切な対応は信じられない!長老なのにムキー!」とか「〇〇姉妹はなかなか結婚できなくて可哀想だ」などと、噂話ばかりしていましたね・・

まぁ、人の悪口を言ったり噂話に興じだりすることは別にエホバの証人の組織に限ったことではありませんので、このような不親切な方々が存在しているからエホバの証人がどうこう言おうとは思いません。

ただ、やはり「誰に対しても親切に接しなさい」とか「いつもへりくだった想いを持ちなさい」という聖書の教えが前提にありますので、不親切な兄弟姉妹たちがいた場合には「大きな違和感」を感じざるを得ませんでした。

まぁこれが「エホバの証人は神の組織でもなんでもない」所以ともなるわけですが。

結論として、エホバの証人は悪なのか?

インターネット界隈で活動を始めてはや4ヶ月が経ちます。

ネット上で活動していると「エホバの証人」の良し悪しについて色々な方々が、色々な意見を交わしているのをお見かけします。

それらを踏まえて、「エホバの証人は悪なのか?」という質問に対してあえて何らかの意見を述べるとすれば、僕の場合は「人によるでしょうねぇ」という煮え切らない答えになるかと思います。

(そもそも議論になりづらい答えで申し訳ないです笑)

「エホバの証人」という言葉は似通った考えを共有する人々の集まりを指す概念的な総称でしかなく、これはちょうど色々な色を1つのアルミケースに収めた「色えんぴつ」みたいなものだと思います。

全てを一括りにして「色えんぴつは赤だ!」とか「色えんぴつは緑だ!」とは言えないのと同じように「エホバの証人は悪だ!」とか「エホバの証人は素晴らしい!」などと言うことがそもそも本質的に無理がある、というのが僕の漠然とした感想です。

それでもあえて、エホバの証人に対して何らかの評価を下そうとする場合は、何らかの判断基準が必要になってくるでしょうね。

「エホバの証人」を評価する上で、利用できる判断基準としては以下のようなものが挙げられると思います。

  1. 自分をどれほど傷つけたか
  2. 自分をどれほど幸せにしたか
  3. どれほどワールドワイドな活動か
  4. どれほど多くの信者がいるのか
  5. どれほど聖書に即しているのか

利用する「物差し」が変われば、その対象に対する評価や印象は大きく変化します。

同じように、エホバの証人を評価するときにどの「物差し」を利用するかによっても、エホバの証人に対する評価は大きく変化するでしょう。

ツイッターやインターネット界隈には「エホバの証人(の中の親や長老たちなど)」に深く傷つけられた方々が多くいらっしゃるようです。

このような方々がエホバの証人を評価する上で採用する「物差し」はもっぱら上記の1番「どれほど自分を傷つけたか」になるかと思います。

エホバの証人の組織に在籍している期間の間、身近にいる信者の親や長老たちによって深く傷つけられた経験が積み重なれば重なるほど「エホバの証人は悪い」というマイナス評価が膨らんでいくのは当然でしょう。

1番の物差しを採用する方々にしてみたら、「3. ワールドワイド物差し」や「4. 信者数の物差し」など、利用すること自体がそもそも無意味です。

どんなに世界中に大勢の信者がいたとしても、あるいはどんなに素晴らしい兄弟姉妹たちが組織の中にいたとしても、それは評価の計算にはさほど入りません。

そりゃそうでしょうね。「世界中に大勢の信者がいる」という実感よりも「自分は組織のせいで深く傷ついた」という実感の方が大きいわけですから。

一方で、現役バリバリのエホバの証人の方々が「エホバの証人の組織」を評価するときに採用する物差しは大方2番から5番となるでしょう。

これが、現役エホバの証人の方々がアンチエホバの証人の方々から「頭の中がお花畑だ笑」と揶揄される所以になっている理由だと思います。

  • 「エホバは私を導いてくれている!開拓奉仕のための車も見つかったし、給料の良い仕事も与えてくれた!」
  • 「私は毎日お祈りしているから、私はいつも霊の実に包まれていて幸せだ!」
  • 「この組織には世界中に大勢の兄弟姉妹がいる!これは間違いなく神の業だ!」
  • 「エホバの証人は唯一、聖書を正しく理解している組織だ!」

そもそも使っている「物差し」が違うわけですから、現役エホバの証人の方々と、エホバの証人を辞めた方々との意見が食い違うのは当然です。

使っている「物差し(判断基準)」が違うのです。

この状況はちょうど、東京タワーを「メートル」で測っている人と「フィート」で測っている人の意見が食い違ってしまう様子に似ています。

Aさん:「東京タワーの高さは333だよね!」

Bさん:「いや!東京タワーの高さは1093でしょ!」

判断基準をメートル法、あるいはヤード・ポンド法に統一しないと意見が一致することなどありません。

同じように、「エホバの証人は神の組織かどうか?」あるいは「エホバの証人は悪なのか?」というテーマについて考えるときには、まずはどの「物差し(判断基準)」を利用するのかを決定、あるいは両者で統一する必要があります。

現役信者の親などと話すときに「話が通じない!」と悲しい思いをするのは、そもそもお互いに利用している「物差し」が違うからでしょうね。分かり合うためには基準を統一する必要があるでしょう。

でもまぁ、現役エホバの証人の方々は上記に挙げた「物差し」の1番は断固として使いたがらない点については注意が必要です。

彼らは2〜5番の物差しでしか組織を測ることができません。そのように教育されていますし、そっちの方が自分の世界観や積み上げてきた人生を傷つけないからです。

個人的に思うこと

さて、今まで話してきた通り「エホバの証人」に対する評価は、どの物差しを使って測るかによって大きく変化します。

しかしながら、僕が「エホバの証人」を評価する上でもっぱら利用するのは上記の5番の物差し「聖書に即しているかどうか?」です。

なぜなら、彼ら自身が自分たちの正統性を主張するために5番の物差しを大々的に掲げているからです。

組織:「私たちは神の組織です!だって聖書にそう書いてあるでしょう?(ドヤ)」

いえいえ、そんなこと聖書に書いてありませんから。ちゃんと聖書を勉強してくださいね。(´・ω・`)